4月29日〜5月5日に投稿したなう | 五月に或る人は言った。(仮) 

4月29日〜5月5日に投稿したなう



NHK「足下の小宇宙」植物写真家の埴沙萌(はにしゃぼう)さんの一年のドキュメンタリー。実況をリツイートしたが、多分、私が梨木香歩に惹かれる理由のひとつは、このあたりにあるというぼんやりした気持ちがある。身近な自然の中にいることで、作家や画家になれなくても創造的に生きることが→
4/29 11:04

出来て、それを「継続する」ことが大事で。まだうまく説明できないけれど、やっぱり自然と宗教というのは繋がっているものだと、こういうツイートを見ていると思うんだ。
4/29 11:25

梨木香歩に関して詳細な情報を提供してくれているホームページがある。そこの管理人さんはfecebookもやっている。ファン同士が集まっている。でも、もともとfecebookのシステムが私の肌に合わないんじゃないかと思ってこれまで入ってこなかったし、どうしようか迷ってる。
4/29 11:25

何に関してもそうだけど、「ファン」といってもその視点や好きの度合いは様々だ。だから、私自身の梨木香歩(とか文学とか)に関する価値観が色々揺れている中で、そういうコミュニティに入ってしまうことに疑問がある。
4/29 11:25

「情報は情報」と割りきれるかどうか。自分を保っていられるかどうか。まあ、視野が広がることはいいことだと思うんだけど。
4/29 11:25

私は小さいときからなんだか上手く生きられないなあという感覚を持ってきた。アスペルガー症候群の名前を知ったのは高校生のときだ。そのときは、私はここまで極端じゃないと思った。でも大学の教職の授業で、発達障害について勉強した時、やはり私はASなんじゃないかと思うようになった。
4/30 13:06

ここ何ヶ月か、精神的に調子が悪くなり、病院に通うようになった。「軽度ですが、ASですね」と診断された。
4/30 13:27

私は昔から、自閉症とASといわゆる「健常者」の間には、明確な垣根はなくて、誰でも、どこか偏りを持っているものという考えを持っていた。だから「AS」という「診断名」で括られることにものすごく抵抗感があった。
4/30 13:27

けれど最近、私のことを大切に思ってくれる人に迷惑をかけないために、自分の本当にしたいことにしっかり時間を使うために「自分はASで、これは得意だけどこれは苦手」とわかること、そして、「苦手なことはこうやってやればいいんだ」とアドバイスを貰うことに漸く抵抗感が薄れてきた所だった
4/30 13:27

そこに朝日の「消えるアスペルガー症候群」という記事。…もう良くわからない…。……とりあえずやるべきことをやる。
4/30 13:27

昨晩は懐かしい方と電話をした。有益な時間だったが、私の中で必死に眠らせていた依存心のようなものが少し復活してしまったかもしれない。気を付けなければいけない。
5/1 7:55

全人格、辿ってきた道を全て理解しあえることはありえない。けども、理解しあえないという事を理解しあうことはできる。それはとても心が安らぐし、表層的な事について頑張るエネルギーになる。/切り換え大事(5月1日夜のメモ)
5/2 0:26

数字や簡単な質問や口の巧さで測られること。疑問を感じその生き方を忌避するならするで良い。良くないのはきっと、忌避するだけで、その先の自分の考えを表現できず、不満や不安を肥らせること。2012/10/6
5/2 21:04

わかってもらいにくくても、自分の基準を持つこと。人を傷つけるのはいけないけど、傷つけるのをおそれるのはもっといけない。それから基本的生活習慣の確立(苦笑)2012/10/6
5/2 21:04

聴きすぎて辛くなるか、辛くなるのがしんどくて全く聴かなくなるかの二択で極端。自分なりのほどほどを見つけること。これは流す、ここまで言われたら流さないという基準を決め守る。悩むこと、悩まなくて良いことを選別する。2012/10/6
5/2 21:04

楽しいことをしてないわけではないんだけどね。息抜きや切り替えが本当に下手。人と過ごすことが息抜きにならないことが多い。単純についていけない場合と、話を受け止めすぎてずっと考えるからかな。2012/10/7
5/2 21:25

根本的な問題は何一つ解決していないな。していないけれども、自分と他人の境界線がひけるようになってきた。無理な事は無理と言えるようになってきた。自分を守れなければ、他人は守れない。時間管理はまだ下手。
5/2 21:25

教育は科学であってはなりません。それは芸術でなければならないのです。 (シュタイナー)
5/4 13:03

シュタイナーの芸術思想は、どうしても私は受け入れることができないし、今でも間違いだと思っています。なぜかというと、一言でいうならば、「暗黒が欠けている」と、言えるからです。 エンデ『ものがたりの余白』
5/4 13:24

エンデの『物語の余白』は中学の時に何回も読んだのだけれど、こんなことを言っていただろうか?記憶にない。昨日、「細見美術館特別展志村ふくみ・志村洋子 作品展 しむらの色 KYOTO」に行って、梨木香歩と志村洋子さんに相通じるものを感じた。刺激的だったのだけれど…まだ整理できない
5/4 13:24

私が梨木香歩に関してしりたいのは、エンデの言う「暗黒」の部分なのだと思う。梨木香歩はシュタイナーの教師養成学校へ入るために英国へ行った。…頭がぐるぐる…あまり拡げすぎると収集がつかなくなるぞ、自分の身の丈に合ったことしろよ、と思いつつ…
5/4 13:24

簡単なことを難しく考えたくはないのだが…しかし…
5/4 13:45

その場所があり続けて欲しいと思うのなら、行くだけでなく、100円でも、200円でもいいから、そこでお金を使うことだ。そうでないと、そこはなくなってしまう。脅しや宣伝で言ってるんじゃない。実際、それがなく、単に利用されるだけになってしまった場所はどんどんなくなっているんだ。黒川鍵司
5/4 22:44

「春が来たから花がそっと咲くという心持ちで生きる。」っていいな。(この世に与えられた「自分」に本来具わっているその力を信じる。と続く by小池一夫)
5/4 22:44

所有は重荷となり得る、知ってたかい? スパイク(スヌーピーbot)
5/4 23:06

いまから多めにリツイートします。メモ代わり。ほんで晩御飯の買い物。
5/5 16:11