『風立ちぬ』初見 断片 | 五月に或る人は言った。(仮) 

『風立ちぬ』初見 断片

金曜日。『風立ちぬ』行ってきた。構成も、絵も、声優も、とても良かったし、本当に宮崎さんが描きたいことをやってる感じ。
(ジブリで一番良いかも)、なのになんだかやりきれない感じが残って、感想が書けないでいる。
「描かれなかったこと」に気持ちがいってしまうが(『ひこうき雲』ってたしか自殺した友達への歌だよな…特攻隊…とか。
「日本がどういう飛行機を作ったか」という記事をずっと読んでいるドイツ人設計士の「ここ悪いことない。私たち逃げてる。」)主眼はそこではないだろう。
明るい夢。地道な製作。許されて生きること。


少年のころから大人になるまで、ずっと見てきた夢は、本の記述に形を与えること。
それも美しく楽しく(カプローニも次郎も)。作ることに打ち込むのが、 人を殺す結果となる。それでも「作る」「作り続ける」。
後世の人間はなんとでも言える。批判する前に、与えられたことを、夢を形にし続けること。それは何かを犠牲にすることである。偽善といわれながら、次郎の(を)愛する人も次郎も命を削る。……うまく言えんな。



絵で特に良かったのが、背景の自然と、 シーンごとの光の強弱。窓ガラスを通した光。雲の間からの光。木の葉の間からの 光。雨の後の光。夕暮れ。 夢の中。いろいろ。



利かん気な女の子と病弱で意志の強い女の人と、好い人だけどアクの強い男の人。 宮崎作品ではほんとに多い。「またか」って悪感情じゃなくて、ほっとする(笑)