新天地へ行くお知らせ(お話もできたら) | 五月に或る人は言った。(仮) 

新天地へ行くお知らせ(お話もできたら)

φ(..)詩だけでなく、ずっと好きな小説や漫画や音楽や舞台について、展覧会などに出掛けたときの感想についてなどなど…人に見てもらう場に、文章を書いてみる?



お久しぶりです。
10代の頃、ここで文章を書いていた時にお話ししていた方々が、どれくらいここをのぞいてくださっているのか…かなりドキドキしつつ、文章を打っています。

今はもっぱら、2014年ごろから本格的に書きはじめた詩のブログを更新しています。
http://kotokaze.exblog.jp

5月、一度入賞しました(http://kotokaze.exblog.jp/23883278/)🕊️
でもずっと表現することに対する悩みや、わたしの趣味嗜好、麻痺のこと、楽しいこと、悲しいことを発信する場を持てずに、どうしたものかなぁ…と悩んでいました。

冒頭の文の通りで、新しく、創作物も載せられて、私を知ってもらって交流ができるような場所を作ろうかと思っています。
たぶん、ワードプレスで独自ドメインをとると思いますが、できなかったら泣き言をいいに来るので、もし詳しい方がいらっしゃれば、教えてくださいm(__)m



この場所に書きにこれなかったあいだのことを以下に。

  大学と大学院で、初めて趣味や信仰のことやらを深く話せる友人や先輩や後輩と出会い、話すことで交流が深まって新しい視点も貰える嬉しさを知った。身内とも友人ともそういう話ができないまま(今でも交流が続いている中高時代の友人はいるけれど)、ブログを通じてネットの年上の友人と交流していた私には、色んな事を同世代の友人と直接話し合えるというのは劇的な変化だった。

今年の大きな変化は、詩をつくることに対して、もっと形にしたいという思いが強くなったこと(詩集を作る、展覧会をする予定)と、学科もサークルも一緒だった先輩と、ゆっくり時間をかけて恋人になって、6年を経て春、別れることになったこと。

(家族と、思いを共有できないけれど、たくさん助けてもらっていることへの負い目に対して初めて「家族だからといって全部共有できなくても、こころの中でも感謝できないことがあってもいいんだよ」と言ってくれた人だったこと。

出会って心を打ち明けることができたこと。けれどもう、私は私の方法で昇華していく時期が来て、互いに相手の荷物を背負うことよりも自分の生を歩むために、道が違っていったということ。自分を強く持たなければ飲み込まれるほどの互いの傷は、私にも相手にも荷が重かったのだろう。繰り返し辛いことを語る彼も私も、そういう傷を持っていたんだろう。わたしはもう、しばらくは人に話すことはない。ゆっくりと、自分の生を書くこと・先立つもので支えられるようになるまでは。その頃にはまた、人と、違う関わりがきっとできる。)


  最近になってふたたび、好きなことをすべて「話す」ことで共有しなくてもいいのじゃないかなと思うようになった。大学で出会った人たちは、思うことをすべて話しきれなくても悲しく思ったり飢餓感を感じたりしないという人も多かった(話すことにプラスして書いて残すことをあまり必要としない人たち)。私にとって彼らの話し方やスタンスから学ぶことはとても多かったけれども、私に合う、書くことを手放してはいけないなと改めて強く思う。

新しい表現の場を持つのも何かを書くことも怖くてうまくできるかなんてわからないけど、何もせずに思いを溜めてしまうよりはいい。

行き詰まったら、原点に戻ってみる。
(10歳から紙に気持ちや本の感想を残していて、14歳ごろからネット-ブログ-に移行。20歳ごろまではコンスタントに更新していたけれど、気持ちにも時間にも余裕がなくなって更新停止のまま放置状態←このブログのことです(笑))

  誰と親しくなっても、誰の隣にいても、どこに所属していても、私は書くことをやめないほうがいい。むしろどこかに所属しているからこそ、自分の変わらない部分、人と関わって変わる部分を記録したほうが、作品を書いていく上ではいいと思った。ひとと話せることが増えるほど、ますます深いコミュニケーションを求めたくなって飢餓感は増す。どんな距離感の相手にも私にもうまく言えないことはあるだろう、たぶん(まだわからないが)。しかも私独自に見つめたい詩の世界もあるから、うまく言えないことと見つめていきたいことを記録する場所を作る。私のなかでうまく、人に話しきれないことと自分ひとりが見つめていきたい世界のバランスが取れるよう。
TwitterやInstagramのように、インスタントで短い(しかもどんどん流れて行ってしまう)文の集まりではなくて、ある程度の分量を記録できる場所。対面のコミュニケーションと、文字でのコミュニケーションをうまくミックスしていきたいな。

ブログにカテゴリ作るのか、HPか。独自ドメインをとるのか。検討中。
たぶん独自ドメインを取得するけれど、どこが安くて、何か感想を書いた時に、アフィリエイトなど出来るのか。
最初から完璧を求めないで、飛ばさないで、見切り発車でも修正を加えながら良くしていきたい。手始めに、いくつかのSNSに分散して残っている色んな感想をまとめて、修正したりすることから。

とりあえず今書きたいこと。
・佐々木蔵之介の(ひとり何役も演じた)マクベスの感想
・岩井俊二さんについて
・日渡早紀『ぼくの地球を守って』のこと
・萩尾望都『半神』のこと
・HEDWIG and the ANGRY inch(ロックミュージカル)について
・最近出かけた展覧会について
etc.

一気にやると、気持ちも体もガス欠を起こしてしんどくなるから、ひとつずつ。はじめてからも、「全部残そう」と気負わないよう注意しつつ。新しいことに対して、怖がっている自分を、自分の言葉で宥めつつ。

HPを作ることで、世界が広がっていくといいなと思う。そして、人や団体に依存しない「わたしが帰ってくる場所」も作りたい。自分の手で!




★写真は、絵を描いている女性と植物園に行ったときのもの。秋の始まり、いい時間を過ごさせていただいた。はじめての一眼レフに興奮!  ただ、写真には残らないものがわたしの感性に訴えかけてくるから、ゆっくりでも、それを言葉で捉えられるように私自身の調子と環境を整えていきたい。
      


また、ある程度まで文章が載せられたらここでもお知らせしようと思っていますので、よろしければ足を運んでいただければとおもいます。
 

 

 

最近文章にできた、去年の葛藤を、ここに少しだけ残しておきます。

(初めての独り暮らしをしながら、詩を書いて、大学院という場に属さずに障害者雇用での就職活動をすることは、わたしが自分で自覚出来ていた以上に、わたしの気持ちをすり減らしていたようです。

今すこしずつ、本当に一進一退しながら、色んなことを再開しています)

 

 

わたしの心が動き続けるために、和らいできた陽射しも、心地よい秋の風も、水面に光る金色も、詩や絵や音楽も、人に会いにいくことも、会った後に人よりも休息を強く意識することも本当に切実に必要。

規範なんて「一般的」 「普通」の中にはなく、自分の中にある。私が知りたい/表現したいことを追い続けなければ、わたしの心は死んでしまう。
ひとに向けたら、負担をしいるような深い深い喜びも悲しみも瞬間的な激情も幸せも全部追う。ゆっくりと、長いスパンで。

もちろん、先立つもの、生活のための備え、万一のための備えは、私にとっては人よりも少し余計に必要だ。人に負担をかけないことも必要。
 けれども人よりも選択肢が狭かったり、一般的なスタイルで生活できなかったりすることが、なんだというのだろう。

たった今は、そう思えたから残しておく。




 

少数の人に、わたしのからだの事を打ち明けた。

 

軽度の脳性麻痺で、右半身に麻痺があることだ。

・体力が少なく疲れやすいこと

・体のバランスがとりづらくて早く歩けないこと(右足をすこし引きずっている歩き方)

・物を早く運ぶ、バランスを保って複数の物を運ぶ事が難しいこと

・手先を使う細かい仕事ができないこと

・体に左右差があって、たとえば握力は右と左で10以上違うため、麻痺のない左手が利き手で、右手では字が書けないこと

・聴覚過敏があって、身の回りの音をすべて拾っていまい、人の話し声だけを取捨選択できなくて、辛いことがあること(映画やお芝居やライブは急に大きな音がして驚いても「そういう約束事の世界である」という前提があるから行ける。むしろ好き。色々な種類の音ー人の話し声、数種類のBGM、車の音なんかーが一斉になっているとうまく選択できない)。

なんかを伝えた。

 

疲れやすいとか、一つ一つの動作に時間がかかるといったことは今まで人に伝えてきたけれど、具体的に握力のことなどを人に伝えたことは、今までほぼなかったように思う。

 

 

 

 

過去がどうだったか。

 

 

大学三年から始めた就職活動は、論文を書くときに体調を崩して中断した。論文は、思い描く形と計画がうまく噛み合わなかったと感じて消化不良だった。学問として、楽しみとして、生きる支えとして知りたいことも仕事としてできることもわからなくなって、半年近くどうしようもなかったけれども、

友人や出会った先生に背中を押されて大学院に進んだ。

 

大学院、最後の半年。

慣れない一人暮らしと、日々の授業と、論文と、司書の単位を取るための講義。

 

小さなことのうちに、「実はなあ、困ってるんだよ~ こういう事がどうしてもスムーズに進まなくて  もうちょいうまく力を抜く方法はないかな?」

そういうことが言えなかった。

 

 

いまどうするか。

人に打ち明けることができたこの地点から、また少しずつ少しずつわたしは動き出していく。

方向は、打ち明ける方へ。

困っていることがうまく伝わらないこともある。そのときは「それでも猛進」ではなくて、ようやってるな!と自分を励ましていけるよう。わたしのおバカな妄想癖空想癖は、今のような、人に会い、障害者雇用で仕事を探す現実と向き合って、そして表現活動もしていきたいわたしにこそ必要だと思えた。

 

 

(妄想と言えば。10代になるかならないかのころ、全巻読んだ童話『ちいさいモモちゃん』のなかにモモちゃんといつも一緒にいる靴下が会話する場面があった。

靴下が小さな子供と話すというのが面白くて、俄然その気になったわたしは保育器に入っていた頃にはいていた靴下をわざわざひっぱりだしてきて、その日友人と話したこと、面白かったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、頑張ってもなかなか思うようにできずに本当に悔しかったことなんかを話していた時期があった。なにやってるんや、と自分にツッコミをいれつつ。そういう仮想の友達との対話を経て人は成長すると知ったのは少しあと。)

 

 

一歩一歩進んでいきましょ、振り返りすぎず。