聴講出願&対話 | 五月に或る人は言った。(仮) 

聴講出願&対話

聴講出願動機メモ 原点を見失いそうな時のために。
宗教哲学
感性→悟性→理性 ★感性が見ているものをどうやって整理して統合してアウトプットするか。具体的な作品作りの話は(まあおそらく、絶対に)ないだろうけど、わたしが何かを感じて書くときの支柱になるもの(のひとつ)が欲しかった。
カント中心の講義 特に知りたいのは親鸞

文芸学
アリストテレス『詩学』中心 詩人追放論、詩的霊感論に興味

以上、動機の一部。



[画像:60f7ce99-s.jpg]


親や大切な人が、元気がないときの子ども ex.災害中 元気にしている 後で辛かったことがわかる 〈辛いのが続くのやフラッシュバックはある程度一般的な現象〉
後から振り返って分析できるということは、0か100思考で考えている訳ではない。
high⇔low、差が大きいのは気分 気分の差はある程度まではあって良い。自分の対策として0→100であってはいけないと思いすぎるのも辛さの原因
「~じゃないと、しないと価値がない」は思考 思考部分をコントロール出来るようにしていく。
「いつも明るく元気」でなくてもいいよ、と思えるようにしていく。


様子を見ながら喋るから思うことが言えない事があるというのは、相手の開示に合わせて会話が出来ているということ。
それは摩擦なくやっていくのに必要なスキル→習得出来ている。


理解し合いたいことの、深さ・質の違いをどうやって埋めていくか
私→作品にするしかないと考えているが辛いことがある
作品というのは、手段のひとつとして良い
(余談・ピカソ パートナーが変わっていく話をした …伝え合いたいことを交わしあえる相手を探していたと考えることも出来る
ゴッホ 自画像の変遷の話…飢えがなければやはり作品にはしないだろうという一般論)




[画像:4fe4dca6-s.jpg]



9/21対話のち聴講出願