3月25日〜3月31日に投稿したなう
『ホロヴィッツとの対話』見えないもの、原点。
まずパンフレットを読まずに感想を書いてみる。
実在の人物のお芝居だったけどあえて殆ど何も調べないで行った。
(ので、音楽関係のことでヘンなこといってるかも)
劇評も見ないで行った。
まずそういう状態での感想。
昨晩Twitteにも投稿したが…
『ホロヴィッツとの対話』に興味を持ったきっかけは、
Twitterの音楽家の名言珍言botで
ホロヴィッツの「完全である事自体が、不完全なのだ」という言葉を知り
彼を調べたからだった。私は「完全である事自体が、不完全なのだ」という言葉に、
励まされつつも悩まされるという不思議な感覚を持った。
このテーマはHedwigに通じるものでもある。
渋い?配役で、どんな物語を書くのか。
『ラヂオの時間』のトラックの運転手は世界の渡辺謙になっている。
その彼を、天才を陰で支えたピアノ調律師として描くということに期待を持っていた。
段田さんは私、堤さんと共演した『タンゴ・冬の終わりに』以来ファンだった。
『タンゴ~』では天才役者「だった」盛に複雑な感情を抱く普通の役者の役。
軽妙な演技の前半、そして後半「普通」のはずの彼の危うさが浮き彫りになる演技がとても好きだった。
井上ひさしの『ロマンス』では天才チェーホフが何を求めていたかという話の筋の中で
老年のチェーホフ役だった。
今回は天才の役である。
なんか面白い連鎖だなと思いつつ、
やっと生、ナマだよーと一人うれしくなっていた。
(『タンゴ~』と『ロマンス』は一時期WOWOWに加入してたときに録画した。)
で、感想。(台詞はちょっとうろ覚え)
三谷さんはむかしっから(すごい強調したい 笑)
天才とそれを支える人、とか、すごい人や偉人に挟まれて苦労する人とか、
そういう書き方をしてすれ違いを笑いにして、
大変だけど誇りを持って日々を生きていこうね、
というパターンの芝居が多い。
この家でこんなことが起こってるとき別の場所ではじつは…を重ねていくのも多い。
今回もそんな感じ。
フランツの「あんなに信心深い父と母を悲しませるなんて…神様なんていない。そう思いました。
(略)でも、今は思うんです。神は私たちに何かしてくれるんじゃなく、ずっと見守ってくれているんだって。」が響く。
フランツは一時は音楽家を志しながらも怪我(だったかな?)によって諦めざるをえなくなる。
いわゆる選ばれた天才、選ばれた人ではないけれども、自分の仕事に誇りを持っている。
その丁寧な仕事ぶりの底には、戦争で兄弟を失って神様なんていないと思った強烈な体験がある。
誰でも心の中に後悔や深い喪失感を抱えているけれど、
そこから新しく大事なものや自分の持ち場を見つけていくのだなあ、と思う。
天才ホロヴィッツにはない後悔、再原点(変な造語だけど)。
だからホロヴィッツは、「いいディナーだった」って言うんだろう。
渡辺謙さん良かったよ、私なんかが言うことではないけれども。
ある人に、神様のおかげで~じゃなくて、神様がいると思うことでより良い世の中になっていくために神がいるとおもう、
といわれたことがある。(言った当人はもう忘れているような気がするけれど。イヤその「気」に根拠はない、なんとなく。)
その言葉に通じるものをフランツの台詞に感じた。
フランツがこの台詞を言うのは
ホロヴィッツの妻が、
いつまでもいつまでも息子を亡くしたことに拘泥しているのを受けて話した話のなかでだ。
だから、多分親子関係っていうのもキーなんだとは思うんだけど…
それも踏まえて以下。
今回、三谷作品のパターンにプラスして強く感じたのが
神様、目に見えないけれど見ている人、自分を支える原点の大切さ、みたいなこと。
天才ホロヴィッツは子供みたいにわがままで気まぐれに描かれている。
(実際そうだったのかな? 段田さんが楽しそうで、巧くて、にやにや。)
でも、長年一緒に演奏してきたフランツと二人の時ふっと違う顔を見せる。
ホロヴィッツがその顔を見せるとき
フランツも、職人としての筋を通す。
(ホロヴィッツが嫌っている演奏家の最後の演奏会の調律になんとしてでもついていくということ。)
その緩急は段田さんの演技でもあるし、三谷さんの演出でもあるし…なんだろうが。
「迷ったときは……バッハに戻りなさい。」
天才の原点は、強い後悔とか、強烈な喪失の体験じゃなくて
音楽の神様、古典。
それでいいんだと思う。
それぞれの生き方の中で、原点を持つことが出来れば。
天才と平凡(って、天才ピアニストの調律師なんて、平凡ではないんだけども!)な人の間には、
「音楽の神様」っていう大切な共通項があって、芸術に関わる人として、そこで通じ合えている。
フランツの妻エリザベスが「(ホロヴィッツが)本当にすごい人だってことだけは分かるわ。でも…(一緒に時間をすごすのがすごくたいへんなのよ)」と言うとき、
フランツは「でも、すばらしいピアニストだ。」という。
三谷さん自身も、芸術の神様をどこかで感じながら
ずっと同じパターンの作品を描いてきたのかなあと思った。
まとめ。
今回感じたことは二つあって。
後悔や喪失感は消えないけど、その中で新たな原点を見つける。
それぞれの生き方の中で
目に見えない見守っているものの存在を感じて自分の持ち場で生きていく。
そういう話なんだなーって。
きっと、今の私自身の状況をおおいに反映した見方になっているけど。
あとねー、私、手仕事する職人さんにすごい憧れがあるからなー。
天才とかより、職人さん。
言葉以外で、自分の気持ちや人に感じてほしいことを表現できる職人さんって
すごいなあって思うから。
麻痺がなかったら芸大に行って陶芸とかやってただろうな。
言っても詮無いことですが。
あ、和久井映見さんはいくつになっても可愛さに嫌味がなくて、渋い演技も出来るのが…
なんか好き。
ドラマ『ピュア』の頃から好き。(堤つながりで見た)
鈴木砂羽さんと似たものを感じる。
すごく疲れたけど、観にいってよかった。
では、パンフレット読むよ。
なんか昨日、カメラが入ってたみたい。たぶん。
もしDVD買ったら今日の公演なんだろうか(笑)
テレビ放映用かな?
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大阪城公園、桜が満開でした。
人が多いのは苦手だから花見シーズン嫌いだけど桜は好き。
うれしくて写真撮っていたら
パンフ買ったり諸々済ませて席につけたのが開演五分前でした。
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パルコプロデュース公演(パルコ劇場四十周年ANNIVASARY)
『ホロヴィッツとの対話』
作・演出 三谷幸喜
出演 渡辺謙、段田安則、和久井映見、高泉淳子
2013/3/30(土) マチネ
シアターBRAVA! 1階T列8番
1個のスイッチで自分の中の全部が消える。
1個のスイッチで1個の部屋の明かりだけ消えればいいのに、
1個のスイッチで自分の中の全部が消える。
1部屋だけ消しとくとか、そういう節電みたいなことができない。
連鎖するっていうか、それとこれとを切り離してとかができない。
Cocco(2011、10)
Coccoは中学時代に割と良く聴いていた歌手。
苛められたり、不登校になったり。
そういうことは全然なかったし、部活(演劇)なんかにも普通に入っていたし
皆勤賞だった…のに、なんとなく、なじめてないなあ
早く大学生になって好きなことがしたいなあ、と思っていた中学時代。
家のことがちゃんと理解できていなくて
変に考えすぎてしんどくなっていた中学時代。
本ばっかり読んでいたが、本を読むのも辛いとき、聴く音楽のひとつが、Coccoだった。
今も疲れたときや周囲の音を遮断したいとき彼女の歌を聴くが
中学時代のような切実に求める感じでは、もう、ない(殆どの場合)。
しかし。
Twitterのbotで知った、この言葉にはっとした。
私も、「できない」わけじゃないけど
そういうことが多いからだ。
頑張っていることで、何かひとつ上手くいかないと
全部が消える。
少しずつ気持ちや作業が軌道に乗ってくると、全部がつく。
ついたものを試してみて、上手くいかないと、また落胆し、全部消えそうになる。
今、梨木香歩について調べている。
上橋菜穂子にも興味があるので調べており、
この二人に私なりの独自の共通点を見つけたいと思っている。
(といっても大したものでないかも知れないが)
それで、マインドマップを書いていた矢先に
今度のユリイカで上橋菜穂子が鼎談に参加していることを知る。
嬉しくなってしまう。
嬉しくて、全部のスイッチがつきそうになる。
ゆっくりゆっくり。
冷静に。
もう、「大学生」でないし、まだ「大学院生」でもないから
不自由なことが結構ある。
昨年9月の末、調子が良くなかった時、話を聴いてくれた友達が
「色々不安やろうけど、大学生っていう身分、所属があるって、やっぱり安心やと思うで」
と言ってくれた。
(だから院試の勉強も卒論もかんばろ、という文脈)
そのとき、そうだなあ、って思ったけど。
今更、それを強く思ってる。
後悔、ってやつなのかもしれない。
「後で悔いるから後悔っていうんだし。ね?(今は先のことを考えないで、という文脈)」
別の人が言ったこと。
ものすごく調子が悪くて何も出来なかった今年の1月末。
二月初めだったかな? 電話したときに。
でも今は、前に少しずつ少しずつ進んでいるから。
嬉しくなりすぎずに。
どーんと落ち込みすぎずに。
淡々と。
ゆっくりゆっくり。
前を見て。
まだこうやって言い聞かせている段階だから、
一人でやることは以前のように積極的に出来るようになってきていても
すぐ疲れるし
人に会って影響されるのが怖いという気持ちがある。
ゆっくり。
今やることは、自分の芯を見つけなおす、作り直すこと。
あと、去年の夏以降の自分のメールは
今見ると
どんどん切羽詰っていってるのが自覚されて後悔するから
見返さないほうが賢明…と自戒しておく。
桜と梅と言葉と(そしてHEDWIG)
京都の枝垂桜
近所の図書館の梅。
携帯で撮影したのを取り込んだのでどうも画質が荒い。
ちょっと画面を明るくしすぎなのかな。
最近、散歩をよくします。
近所を歩いたり。
京都駅から、今出川や府立図書館あたりまで歩いてみたり。
私は歩くのが遅いのでかなり時間がかかっていますが。
かなり前(昨年五月ごろ)から少しずつ少しずつ調子を崩していて
結局、二月の院試は受けませんでした。
卒業した大学へ、図書館利用申請に行ったり。
本当に何が学びたいのか。
児童文学の本を借りたり。色々調べたり。
こういうことをここに書けるようになっただけで
書こうと思えるようになっただけで今は進歩です。そう思いたいな。
『ただただ音楽をやれるのがうれしかった。
間違いなく僕は最高のアマチュアでしたね。
だからプロになれたんです。』
佐渡裕
いいなあ。
本を読むのも芝居を観るのも音楽を聴くのも。
ただただ好きで。
ずっとそればっかりやってきて。
私は、物事の感じ方が
すこし、変わっているのか
小学校~高校時代まで、優しい友達はいたのに
ずっーと、ずっと、自分の気持ちを上手く喋れないなあ、
表現できないなあって思っていて。
大学に入ったら
素敵な友達が出来て。色んな話をしたり、刺激を受けたり。
自分を持っていて、さばさばしていて、目指すものがあって、格好よかった。
好きなこと、を喋ることの出来る環境。いいと思うものを共有できる人がいる環境。
ひとりで「好き」だけでやってきた高校時代までと違って
人間関係というものを少しずつ、少しずつ学んだ。
主に、サークルで。
役員になる前。
トラブルが 私自身にではなく 私の周りであって。
なぜか私も傷ついて。
役員になって、組織の中の自分というものを、初めて意識した。
かなり遅い。遅いけど、たくさんたくさん、勉強になった。
個人的なこと。
私は人と摩擦を起こしたり誤解されやすいタイプの人間ではないし
割と、一人でどんどんしたいことをやっていける人間だ、たぶん。
ただ問題は
いっぺん
大事だーって思った人との距離感かな。
私は人の悲しみや苦しみに引きずられやすい部分もあるということ。
それは小学校のころからずっとずっと変わらない癖だ。
だから「大事な人」の枠に入れてしまった人に対しては
男女関係なく、丁寧に丁寧に、向き合ってしまう。
それは、優しさでもあるけれど、優しさではなくて悪い癖ともいえる。
(その裏返しで、まあ人は人だし、ってすぐ言う)
だからこそ、気持ちを受け止めてあげられるけれど。
もう少し、自分と他人を区別できるように。
それは、根本的な問題だから ゆっくり と先生が言った。
今までしんどかったことの大部分は、もしかして
そこからきていたのかも。
中学高校で、母と自分の関係をずっーと考えていた。
それも、大事な人の気持ちと自分の気持ちを区別するのが苦手だったから
だったようだ、たぶん。
勉強の面。
好きなことを、研究にしたり、勉強にするって、すごく難しかった。
これからは…
息抜きの仕方を考える。
そればっかりにならないようにする。
迷っているときは、いくつか道を残しつつ、並行して進める。
四年間、がんばりました。
色んなことを学びました。
ゆっくりゆっくり、好きなことに没頭する私に戻れるように。
ゆっくりゆっくり、人との距離のとり方を考えましょう。
ゆっくりゆっくり、時間の使い方が上手くなりましょう。
言葉は難しいなあと
聴いてくれる人が出来て、改めて思った。
論文を書いてても思った。大好きであることと、伝わることは違う。
そのままの気持ちは伝わらないのだ。
言葉を通しているから。
相手は、自分とは違う生き方をしてきた人で、
その人の生きてきた文脈で言葉を受け取るから。
それは寂しいけれどそうなのだ。
上の写真が、目を通してみたときとは違ってしまうように。
あと。
反省は大事だけど過去は変えられない。だからいつも今を生きること。
脊椎反射で言葉を返さないこと。
(例えばTwittrでの昨年9月19日の呟き。
むずかしく考えることより必要なのは、
カチンときたりわからないと思ったりかなしくなったときには一呼吸置くこと。
すぐ反応を返さなくて良いから相手の意図を考えること。
でも、考えすぎないこと。
心理的距離が近くなると急に脊椎反射になっちゃうんだいつも。
急だから驚かれるし他人は言ってくれないから、気をつける。)
これだけ書くのに二時間ほどかかった。
でも、これだけ書けるようになりました。
ゆっくり、ゆっくり。
今までまとまった文章を書く時間がなかったので
ちょうどよかったかもね。
ちなみに。
HEDWIGがすきなのは、このためなのだ。
彼/彼女は、自分の知識や音楽の技術や気持ちを全部トミーに渡したつもりでいた。
愛していたから。
だから音楽を真似されたとき絶望した。
でも、自分の全てを誰かに理解してもらうなんて無理なのだ。
私の言葉で言うと、「相手は、自分とは違う生き方をしてきた人で、
その人の生きてきた文脈で受け取るから。」だ。
嘆いて嘆いてHEDWIGは、
二人でいることで完全になれるのではなくて
自分の中に、今まで出会ってきた色んな人が痕跡を残していて
人は一人で完全なのだと歌う。
(と私は解釈している)
名前の由来
風花
2013/3/26~
本名の候補のひとつだった名前。
Twitter、ブクログなどではもうずっと、この名前なので、
統一します。
2013/3/26記す
夢
2005/10/1~2013/3/26
ペンネームというかIDというか、通り名?は、「ゆめ」なんですけど
この、「ゆめ」というのは全く何の意味も無くって、
何年か前ネット上でちょっとトラブルがあった時に変えたんですね。
なんですけど。
・・・これを漢字にしようかと。
ほとんど変わってへんやん!
とか言うツッコミは禁止です。
如何してかというとですね、天切り松第三巻の
「宵待ち草」が大好きなんですよね。
ゲンノマエ、のスリ、おこん姐御が、大好きな画家である
竹久夢二に会ったら「女」に変わっちゃうのがとても良いんだ。
でも本当の意味の、「格好良さ」は忘れてない。
夢二も憎めません。
語りのの舞台がニコライ堂で、30前の婦人警官ひとりを相手に、
語ってる場所は署長室なのですが
質素な所長室で二人きり、と、ニコライ堂、の対比が美しいです。
で、夢二がおこんの裸体画を描く箇所があります。
そのとき絵の裏に、
待てど暮らせど
来ぬひとを
宵待ち草の
やるせなさ
こよひは
月も出ぬ
さうな
夢
って書くんですよね。
なんつーかこの、改行による間が、静かさが、凄くいいなあと。
周辺の風景描写と相俟って。
・・・だから漢字です。
- 浅田 次郎
- 天切り松 闇がたり3 初湯千両
最近へなへなです。(色んな意味で)
おこん姐御に叱られたい。
「お前、向こうへ行っちまいな。子供に見せるもんじゃない。
・・・泣くんじゃないよ、馬鹿だね」とか。(おいおい)
(「宵待ち草」の中の、松蔵へのお小言のパロディ。
こども、というのは精神的な、です。見せるもんじゃない、は、
私が見なくていいものばっかり見て(←比喩的な意味で)めそめそしてるので)
2005/10/1記す