五月に或る人は言った。(仮)  -136ページ目

ありがとう

ありがとう

ありがとう

きてくれてありがとう

こんなにもしあわせ

しあわせってことばがすきだ

それはあなたが

わたしによってすこしは

かいふくしたふりを

してくれたことだから


すきです

小さい時の悲しい思い出  楽しい思いでも一杯あったけど人間は悲しい方を憶えてる。

うちの家族は比較的、仲の良いほうだと思う。

GWと夏にはキャンプへ行き、年に一回ミュージカルを見る。

子供の好きなことを応援してくれるし。


ただ、母がすぐ感情的になるし、父は悲しかったら起こってしまうしで、

一旦喧嘩になると大変なことになる。

母は初め私たち子供を怒っていたのに怒りの対象は父へ移り、

明らかに自分に非があると思ったらいきなり私たちを叱り出す。


確か小学校低学年のときだったと思うけど、今だから分かるのだけれども

母がうつ病(か、どうか分かりませんが多分そう)か何かで体調も悪くて、

三日に一回くらい喧嘩してた時期があった。

喧嘩が激しくなると布団に二階の自分の部屋に避難して本を読んだ。

・・・今でも本を読むときは物凄く集中できる(笑)。

父はうつ病とかそういうのもちゃんと理解して、

しっかり接していたんだと思うけれど、

やっぱり、よく分からないことでやいやい言われ続けたら

悲しいし、腹も立つ。

喧嘩は激しくなる。

で一回だけ、母が包丁持ち出してきたりとかして、

凄く危なくてとても怖かった。


 私は今でもふとした時に黙り込んだり

不必要に明るくして怒られたりすることがある。

(最近思い当たったけど)

そのときの影響かなと思う。

小さいから他にどうしたらいいか分からなかったんだろう。


母は大抵喧嘩の翌日には寝ていた。

二階の自分の部屋で。

「大丈夫?」とか言いに行くのが少し嫌だった。

外は明るいのに部屋は薄暗かった。

いつもの明るい母じゃないのが嫌だった。

弱々しいのが嫌だった。

 全然親しくなくても、先生がお休みになられたら、凄く悪い気がするのは、

いつも元気な人が元気じゃないのが怖いからかもしれない。

 母は元気になると父のいい所を私に言った。

少しずるいと思った。

コンビニのおにぎりばかり買って学校に行っていた。

今思えば、家でそんなんでも、学校ではけっこう、「普通」だったなぁ。

何も分かってなかっただけだと思うけど。


父は口先で文句を言いながらも、

母がぐちゃぐちゃにしたものを片付けていた。きちんと。

偉いと思った。

喧嘩の初めの原因と、長引かせる原因は、

父にあることのほうが少し、多かったけど。


炬燵と蜜柑は冬の喧嘩の仲直りの象徴だった。

だから好き。

共依存

そういちの平庵 というブログで、

興味深いというか、自分の状況に少しだけ当てはまるような

記事を見つけたので、トラックバックさせていただきました。

「共依存」というのは、「相手から依存されること」に依存する
「あなたがいなければ私は生きていけない」という人が

周りに誰かいないと安心できないという心情です
じゃぁなぜ、「他人から必要とされること」を必要とするのかというと、

結局自分の中に、空しさとか自己不全感とか、

そういうものが実はあるんですね
だから誰かに頼られることで自己肯定感を持たなくては生きていけない。

こういう、いわゆる人間関係ののめり込み、これを共依存といいます

共依存には、一次共依存と二次共依存というのがあります。
一次共依存というのは、生まれてからずっと大人になっていくまでの間に、

家庭環境だとかいろんな周囲からの影響を受けていく中で

共依存にはまってしまった人。

共依存とは無関係の環境に育ってきたんだけど仕事をしていく中で、

「相手の期待に応えないとダメなんだ」っていう強迫的な思いから

共依存に入っていく場合もあるわけですね。
これが二次共依存です。

二次共依存の場合は、比較的回復することは簡単なんです
やはり問題は一次共依存
人に頼られること・依存されることを必要とすることを、

幼い時から刷り込まれた人というのは筋金入りですので、

なかなか回復は難しいですね

この一次共依存の背景にあるもの、これが「アダルト・チャイルド」です
子供は過酷な家庭環境の中で何とか生き延びるために

いろいろな適応の仕方を身につけざるを得ない

その「適応のし方」っていうのは5つタイプがあります。

1つは優等生タイプ
この子たちにとって他人からの評価はまさに命になってきます。

 

あるいは、非行に走ったりして問題を起こすタイプもいます。

そのことによって夫婦間に一時停戦状態が生まれる。

子供は自分を犠牲にして問題を起こし、

そうやって家庭の和をなんとか取り戻そうとする。

問題があると、他の問題を起こすことによって解決しようとする、

そういう生き方をする子がいるんです。

それから、目立たないタイプというのもあります。

例えば父親と母親が「殺す」の「殺される」のと、

包丁を持って喧嘩している。その横で子供はひっそりとファミコンをしている。

ともかく目立たないようにする。何か文句を言うとワーッと集中攻撃を浴びるから、

ひっそりと我慢して、「自分を出すのは良くないんだ」と。

そういうふうにして大人になっていく子供がいるんですね。

それからひょうきんなタイプという子もいます。

冗談をよく言って周囲を笑わせる。

でもその子は、好きでそういう冗談を言ったり

周りを笑わせているわけじゃないんですね。家庭が暗いでしょう。

だから「何とか明るくしなくちゃいけない」と思ってるんです。

だから頭はいい子ですよね。

そして冗談を言って家庭の中に笑いが出るとホッと安心するんです。

逆に言うと、それがないと安心できない。

このような生き方をしていると周りに不機嫌な人がいると

自分のせいだと考え「何とかしてその人を楽しくさせなくちゃ」って思う。

それが自分の役割だと思って頑張る子がいるんです。

それからお世話焼きタイプっていうのもいます。

徹底的にお世話を焼くんです。

アル中のおやじが帰ってくる、へべれけになって汚れて。

母親はもう泣き崩れている。そうすると

「お母さん大丈夫よ、私がいるから、心配しなくていいわ」と言って母親を励まし、

父親を着替えさせて布団に寝かせる。本当に健気に頑張ります。

でもそれは、本人がしたいと思ってやっているんじゃないんです。

そうせざるを得ないんです。

その子はとにかく人に世話を焼くことがすごく得意になります。

そしてこういう子は人の面倒をみることが自分の天職だと思い込んで、

大人になっても看護婦さんとか人の面倒を見る職業に就くことが結構多いんですよ。

でも人のケアは上手にできても自分のケアは全く下手くそです。

精神科医の斎藤学は共依存の定義として「『健全』である者たちの代表であるかのようにして」依存症者の「世話を焼き、回復を妨げる配偶者や治療者という『現象』に共依存症という名を付した」と言っています(「魂の家族を求めて」日本評論社)。



●●のためと思ってやっているつもりのその行動が、実は本人の依存状態を助ける「共依存行動」になっていると考えられるのです。

 

引用が長くて申し訳ありません。

あと、勝手に削ったり足したりしてすみません。>そういちさん

 

私は、そのまま、このような状況にあるなんてことは、

全然無いです。父はお酒に弱いし(そういう問題じゃない)

結構、二次依存っぽいところはあるけれど

比較的簡単に治るらしいし…。

 

ただ、「共依存」という概念が、

自分の事を自分に説明して、安心させるのに使えると思ったから。

(こう書くと、なんか、そういちさんの記事をただ利用してるみたいですけど、

そういう気持ちは無いので許してやってください。すいません。)

 

あなたがいなければ生きていけない、という人が、

周りに誰かいなければいきていけない。

本当にそうで。

私には、本当に、親友と呼べる友だちが一人いるのだけれど、

その子から、よく相談され、泣き言を言われ、

その子が自分自身の力で再生していく(かもしれない)過程を一緒にいるのは、

大変だけど、嬉しくて。

辛かったけど、最高で。

ものすごく不安だったけど、そこにだけは確かに

自分の存在意義があると、思えた。

他人の辛さを本当に理解することなんて到底無理だと思うけれど

それでも寄り添い続けることは、

とても大切なことだと分かった。

彼女の苦しみは多分消えることなく

彼女の胸に在り続けるだろう。

でもそんな人生で

ずっと私を必要としてくれるなら、本当に嬉しいと、

そんなことを、思ったこともある。

彼女が本当に辛くて

誰も信じられなくなるとき

一番辛いのは彼女なのに

どうして私の前ですら泣いてくれないのかと不安になる。

彼女にとって一番いいことが

なんなのかは分かっているけどそれは叶わない。

だからせめて私の前で泣いて欲しいと思うのは問題のすり替え。

ごめんなさい。

テスト終了

昨日からちょっと体調が悪かったんですが、

テスト後帰宅したら微熱があるじゃないですか・・・。はぁ・・・。

・・・頑張り屋の身体というかなんというか・・・・・。

身体だけですけど。

どうして丁度テスト終了日に熱だしてるんだろう。

まあ、良かったことは良かったんですけど。


国語・・・時間ぎりぎり。作文問題は面白かったけど。

数学・・・もう20点あればいいです。神様・・・。

英語・・・初めての四時起き勉強の成果は出るのか・・・。

     多分出ないだろうなぁ。

     終了三分前に、解答欄がずれてることに気付いて、

     【番号を勝手に変え】ました。終わったな・・・。

理科・・・訳がわからん。前日、英語に掛かりっきりだったし・・・。

     如何して中学3年生が

     高校1・2年の勉強しなくちゃいけないの・・・。

     嗚呼、中高一貫校は怖い・・・。

社会・・・最後の論述問題、時間切れ。

     配点高そう。


こんな感じで、軽く「終って」おります。

わざわざ馬鹿を晒したくなるのがブログの怖いところ。




コメント返信、記事追加は多分、土日になります。

すいません。寝てきます。

保健室の先生が産休に・・・

今日から保健室の先生が産休に入られる。

私は中3だけど、学校が中高一貫だから、

高校生になったらまた会える。嬉しい。

私はほとんど保健室に行かなかったので

とても親しいという訳では無かったけれど

その先生は、生徒の名前をすぐ覚えてくれて

顔を見たら声をかけてくれた。

話し方がゆっくりしていて、声は心地良かった。

身体を動かす行事の時には声をかけてくれた。


放課後、保健室へ挨拶に行った。

おなかを触らせてもらって、

「赤ちゃんがいるとあったかいんですね・・・」とか、

「すごいですねぇ」とか、意味の無いことをうだうだと言って帰った。


子供を産むって凄いことだと思う。

自分の内にもう一つ、生命が宿っているって、凄いことだと思う。

小さいけれど確かにそこに在る生命は、

もう意思を持っている。

生命はやがて、外界に姿を現す。

その時のために、全てを研ぎ澄まして待っている。

母を通して、全身で色々なことを感じとっている。

「お母さん、お母さん。早く私の顔を見て。

私の前で、私の名前を呼んで。

お母さん、お母さん。

―――わお。これはなに?

―――わお。今の声は?」

 そんな生命に向かって、母親は声をかけ続ける。


なんて神聖なこと・・・と思う。


先生、こういうこと、上手く伝えられなくてごめんなさい。

赤ちゃん、学校に連れてきてくださいね。